| 年 |
内容 |
| 1950 |
笠井先輩が立命館校友会のパーティーで知った事 |
| 戦後には(1950年)ダンス部の存在はもうあったと思われます。当時はパートナーの自家栽培は出来ず、北山のダンスホールで、裁縫学校の女性とカップルを組んでいたそうです。 |
| 1958 |
小野で会ったOB(名前は分かりません)のお話 |
| 当時(S33年)の立命競技ダンス部は関西でトップの成績を取っていたそうです。WT2種目制覇などもしていたようで(注釈:当時はおそらく種目がWTの2種目しかなかった)、その話をして頂いた方も3位や4位などの成績を取っていたようです。全日にも出場していたそうですが、その当時から東部は強く、準々決勝にもなかなか勝ち進めなかったようです。1カップルだけはセミファイナルにいけたという話でした。 |
| 1955-1962 |
立命館大学課外活動団体一覧(大学の資料) |
1部学芸公認団体として活動。顧問がいたようです。
団体名は『舞踏』。
これが1955年にはすでに部が存在したという決定的証拠。
1954年以前の資料はありません。 |
| 1963 |
■1部学芸公認団体から1部学芸同好会に異動。
■顧問がいなくなる。 |
| 1963-1965 |
立命館大学課外活動団体一覧(大学の資料) |
1部学芸公認団体から1部学芸同好会となって活動した。このときより顧問はいなくなった。
団体名は『舞踏』。舞踏同好会と呼ばれたのだろうか? |
| 1966 |
■この年以降2〜10年間休部。 |
| 2000全日本選抜パンフレット |
| 夏の全日本戦に、東京以外の大学として唯一、立命館大学から合田−深川組が出場しました。 |
| 1966-1967 |
立命館大学課外活動団体一覧(大学の資料) |
| 大学の登録から消える。この時期が休部に相当すると思われます。1968年以降の資料はありませんので、この状態がいつまで続いたかは不明。 |
| 1976? |
■『社交ダンス同好会』から『競技ダンス研究会(競技ダンス部?)』に名称を変更。
■学連に加盟。 |
| 昭和53年卒、石田吉一先輩の情報 |
| 私が部長の時(1976年前後?)に、社交ダンス同好会から競技ダンス部に名称を変えに学連に加盟し活動しました。女子部部員は立命としては数人しかおらず平女がほとんどでした。 |
| 1979 |
野本誠一さんの情報 |
私が在学中にも競技ダンス部があって、積極的に活動していたと思われます。1979年には、私のゼミ友が「5回生になった記念に社交ダンス部に入部する。」と言い出して、1年間ですが試合に出ていました。私は、その友人から年末のパーティ券を「2時間2回の初心者講習が付いている」のにつられ買わされてしまいました。実際講習して頂いて、ブルースとジルバを教えてもらいました。その時は、結構人数もいたと思います。パーティは、西陣労働セツルメント(今は無い)で、結構盛況だったことを覚えています。
また、1年下で友人の平井 一嘉氏(京都市在住)は、まともな部員で、合宿等もしていたそうです。また、前教師協会会長 前田射充子先生が、その頃合宿等で教えたという話を聞きました。 従って、少なくとも1970年代後半も諸先輩が積極的に活動されていたと思われます。 |
| 1981-1984 |
河端修先輩の名簿 |
| 同期が男4人女8人、クラブ全体で20人ぐらい。 |
| 1984 |
長岡貴美江先輩の名簿 |
| 私が入部した当時(S59年)4回生の先輩一組(モダン)だけが、関西学連のファイナリストとして通用するだけでした。パートナー校は平安女学院が存在していました。部員は30人ほどで、もちろん部室もなく学而館で練習していました。奇人変人の集合でしたが、ほのぼのとしたサークルでした。 |
| 1985-1987 |
長岡圭次郎先輩の名簿 |
| 2回生で入部したときは、部員20名ぐらい。同回生はひとりで、試合に出てもいつも予選落ち。2部戦でセミファイナルを一度踊ったのが一番いい成績でした。成績よりも部員の数を減らさないようにと気を使っていたし、練習よりもマージャンというひとが多く、それはそれで面白かったのですが、だんだん部としては弱体化していきました。その後の後輩たちが頑張ってくれたおかげでいまのすばらしい部があると思います。
|
| 1990-1993 |
豊島慶一・久美子先輩の名簿 |
| 練習場所は学而館の教室と以学館の踊り場で、途中から、やまびこクラブでもしていました。人数はたぶん今(1997年現在)より少なかったのではないでしょうか。(ちなみに私達は、お互い同学年の同性が、他に1人もいない者どおしでした)当時はモダン勢が強く、ラテンの成績はいまひとつでした。 |
| 1991 |
萱野学先輩の名簿 |
ぼくが入部した時のダンス部は雰囲気の異様な変なクラブでした。
…中略…
その日、たまたま、河盛さんに出会ってしまい、それをきっかけに京大合宿に連れていかれ、少しずつ興味を持ち始めました。そして、前期強練を経て、夏合宿へ。(当時は、電車で合宿に行きました。荷物かかえて、ラジカセかかえて…、人数少なかったから。)
その合宿だけど、とても素晴らしい合宿で、天井にはクモの巣、廊下にはムカデの死骸、柱をみると、ゴキブリが交尾のの真っ最中。たたみからはダンゴムシが出るのでテーブルの上で寝て、目をあけると、ガが空を飛んでいる…といった具合でした。練習場も、バスで30分ぐらいかけて体育館に行き、その体育館も夜は使えず、あやしげなホールで練習してました。それでもむちゃくちゃおもしろい合宿で、僕自身、やっとクラブに定着した合宿でした。
秋になって、先輩がぽつぽつと辞めていき、気がつくと、総勢たった12名の小さな小さなクラブになっていました。当時はやまびこクラブもなく、学而館の教室の机とイスをどかして細々と練習していました。でも一人一人が、クラブやダンスに対して一生懸命でまとまりのあるアットホームなクラブでした。でもカップル数が少なすぎてチームが組めず、団体戦はみなレギュラー、全日本も全員出れる(出される)クラブでした。
…後略。 |
| 1992 |
1992年の立命館大学登録団体一覧表 |
| 一部学芸系同好会・任意団体に『競技ダンス研究会』という名称で登録されていた。いつ『競技ダンス部』に名称変更したのかは不明(99年の時点では既に競技ダンス部)。 |
| 1993 |
金田先輩や西原先輩から聞いた事 |
■練習場としてやまびこクラブを利用し始める。
■清滝のイベントがこの年から始まる。
■新勧の花見もこの年から始まる。 |
| 偉大な個人成績 |
| ★豊島・佐藤組が立命初の秋関モダン戦優勝。 |
| 1994 |
1997年お勉強会資料より1 |
■?年ぶりに六大学戦に出場。
■フォーメーションチームが結成される。 |
| 偉大な個人成績 |
| ★金田・藤原組が立命初の冬の全日本戦決勝進出(SlowFox4位)、立命初の西日本モダン戦優勝。 |
| 1995 |
1997年お勉強会資料より2 |
■フォーメーション、冬の全日本戦に初進出(4位)。
■六大学戦で3位になり、一部校に。 |
| 偉大な個人成績 |
| ★島本・林組が冬の全日本戦決勝進出(Samba6位)。 |
| 1996 |
1997年お勉強会資料より3 |
■冬の全日本戦で立命過去最高となる団体総合7位。
■六大学戦で初の一部校防衛成功。 |
| 偉大な個人成績 |
★竹井・うぐ森組が冬の全日本戦決勝進出(ChaChaCha)。
★島本・牟田組、立命初の全関戦ラテンの部優勝。 |
| 1997 |
■フォーメーション、冬の全日本戦に進出(4位)。 |
| 偉大な個人成績 |
★安治・濱村組が冬の全日本戦決勝進出(Tango6位)。
★岡野・組が冬の全日本戦決勝進出(Paso5位)。 |
| 1998 |
■この年まで1回生の一部は毎年夏の京大合宿に参加。 |
| 偉大な個人成績 |
★片山・田端組が冬の全日本戦決勝進出(Waltz6位)。
★本多・浦野組が冬の全日本戦決勝進出(Paso2位)。 |
| 1999 |
井手慎吾の記憶による近年の動向1 |
■フォーメーション、冬の全日本戦に進出(4位)。
■夏から衣笠の練習場以学館が改修工事のため使えなくなる。
■以学館の代わりに洋々館のフィットネスルームを使い始める。 |
| 偉大な個人成績 |
| ★兼下・黒川組が冬の全日本戦決勝進出(Rumba7位)。 |
| 2000 |
井手慎吾の記憶による近年の動向2 |
■小西君がBKCの練習場としてリブロスペースとミーティングルーム9、ユニオンホールを発掘する。
■当ホームページ創設。 |
| 偉大な個人成績 |
★船橋・杉田組が立命初の夏の全日本戦準決勝進出(8位)、冬の全日本戦決勝進出(Quick2位)。
★高井・千代田組が冬の全日本戦決勝進出(Paso3位)、全関戦ラテンの部優勝。
★山口・和田・小笠原組が秋の京大部内戦を全種目1位で優勝。 |
| 2001 |
井手慎吾の記憶による近年の動向3 |
■フォーメーション、冬の全日本戦に進出(8位)。
■山下先輩卒業式にてBKCの噴水に初ダイブ。 |
| 偉大な個人成績 |
| ★虎尾・常川組が冬の全日本戦決勝進出(Waltz3位)。 |
| 2002 |
井手慎吾の記憶による近年の動向4 |
| ■海野先輩が卒業式にてBKC噴水ダイブ。 |
| 偉大な個人成績 |
★谷口・中西組が夏の全日本戦準決勝進出(9位)、冬の全日本戦決勝進出(Waltz4位)、立命初となる全関戦モダンの部優勝、春関戦を全ジャッジ1位・オールフルチェックで2種目制覇。
★背番号115、116、118のカップルが同立戦・秋の京大部内戦を2試合連続でWaltz1〜3位独占。 |
| 2003 |
■立命初の秋関ラテン戦団体優勝(二部六大戦を除く団体戦において1999年以降では初の団体優勝)。 |
| 偉大な個人成績 |
★山口・和田組が冬の全日本戦決勝進出(Rumba4位)。
★白藤・藤田組が冬の全日本戦決勝進出(ChaChaCha7位)。 |
| 2004 |
|
| 2005 |
秋関総合の部で団体総合2位、フォーメーションでは京大と並んで2位、冬全に出場を果たす。 |
| 偉大な個人成績 |
★松本・平林組が夏の全日本戦で総合10位
★新江・遠藤組が秋関戦モダンの部総合6位
★丹下・津山組が2回生にして冬全クイックを制す |
| 2006 |
秋関戦でフォーメーション奇跡の2位、冬全でも4位という成績を残す。 |
| 偉大な個人成績 |
★垣尾・川内組が2回生ながら秋関戦3種目セミファイナル進出
★丹下・津山組が冬全スローで優勝。冬全2連覇を達成 |
| 2007 |
10数年ぶりの六大学戦での一部校昇格
噴水ダイブは恒例の行事となってしまったようです。
★試合ビデオがVHSからDVDへ
DV使用式のビデオが壊れ、HD使用式のビデオを購入
DVDでのビデオ作成が実用化された |
| 2008 |
「生きる伝説」押田先輩ご卒部 |